【日本:再発見】エノラ・ゲイの記録から、広島の爆撃機の乗組員が核爆発後に鉛のような味がしたと証言

エノラ・ゲイ号のパイロットと乗組員へのインタビューの録音と記録は、広島平和記念資料館に寄贈された。その資料が行方不明になってから40年後、その飛行機が最初の原爆を投下してから73年後のことである。

27本のテープは30時間のインタビューをカバーし、1977年の「Enola Gay:Mission to Hiroshima」の出版前にゴードン・トーマス氏とマックス・モルガン=ウィッツ氏が収集した570ページの活字化されたトランスクリプトが添付されている。
同博物館の担当者は毎日新聞に対し、この記録はその後紛失したのではないかと心配していたと述べた。

記録や文書は、飛行中に機体内で起きていたことや乗組員の心情を明らかにするもので、広島攻撃の全体像にとって歴史的に重要だという。
そのトランスクリプトには、B-29Superfortressのパイロットであるポール・ティベッツが任務は秘密裏に行われたものであり、乗組員は撃墜された場合に備えて短銃とシアン化物の錠剤を所持していたと述べたと記録されている。
ティベッツ氏はまた、爆弾が街の上で爆発した瞬間、口の中に鉛のような味がして、「ホッとした」と述べた。

「私は、光を受けました。口にいれました。ええ、味がしました。鉛のような味がしました」とティベッツ氏は述べた。
「歯の詰め物が原因でした。これが放射線です。ほら、それで、私はこの鉛の味がしまして、ほっとしました-爆発したことがわかりました」

ティベット氏は、爆弾が爆発した直後にエノラ・ゲイ号を回避する方向に変えたが、乗組員は爆発の衝撃波を感じることができたという。

「あなたがブリキの建物の中にいて、誰かが外に出てきてハンマーで殴る姿を想像してみてください、そんな音です」 と述べ、画面を通してキノコ雲が街中に広がっているのも見えると付け加えた。
その記録には、原爆を投下した爆撃手トーマス・フェアビーと他の3人の乗組員によるコメントが含まれている。

この記録は、2017年に、まだ名前が明かされていない日本人の個人資産の中から発見され、家族によって博物館に寄贈された。

金曜日の8:15 AM、原爆が現在の広島平和公園の上で爆発した瞬間、犠牲者を追悼し、1分間の黙とうがささげられた。
最初の爆発またはその後の放射線中毒で推定10万人が死亡した。日本が降伏して第二次世界大戦を終わらせる前に、3日後に長崎市に2回目の攻撃が行われ、約8万人が死亡した。
最初の爆発またはその後の放射線中毒で、推定10万人が死亡した。
その3日後、長崎市を攻撃し、約8万人が犠牲となった後、日本は降伏し、第二次世界大戦は終結した。
広島市の松井一実市長は記念式典での演説で、初めての核攻撃の恐ろしさを強調し、核兵器廃絶へのさらなる努力を呼びかけた。

引用ここまで
The Telegragh by Julian Ryall 2018/08/06】

ご存知のように8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が落とされた日です。
今回、明らかにされたエノラゲイの乗組員の機体の中の証言は、貴重なものではないでしょうか。
これから先、私達はどうやって平和な世界を維持するのか、またそのためにはどういった考えを持ち行動すればいいのか、バランスを持ちながら考え続ける必要があります。
当サイトも追悼の意を込めてこの記事を翻訳投稿します。
Post by MK 2018/08/10 9:11

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