【米国:必読論説】北朝鮮でもトランプが堅持する「米国第一」外交政策

「米国第一(アメリカ・ファースト)」政策による影響を日本も世界も免れることはできません。それは中国や北朝鮮も同様です。「米国第一」の本質はどこにあるのでしょうか?単に保護主義やナショナリズムといった枠組みで捉えてしまうと、見誤ってしまうかもしれません。ワシントン・エグザミナーに寄稿されたジェンナ・エリス氏によるコラムでは、米国特有の個人の不可分の権利という観点から「米国第一」を説明しています。

Post 2018/06/01 17:33

Washington Examiner  by Jenna Ellis 2018/06/01】

トランプ大統領は国際問題と外交政策に関して、「米国第一(アメリカ・ファースト)」に焦点を絞ってきた。だから北朝鮮の金正恩と予定されていた会談を中止した。金正恩は全く例外ではなかった。トランプ氏は金氏の「激しい憤りとあからさまな敵意」に言及し、首脳会談中止は「機会の損失」であり「歴史上で全く残念な瞬間」であると表現した。

トランプ氏は、会談で米国が関心を持っているのは非核化なのだと毅然とした態度を一貫して取り続けた。交渉戦術として、北朝鮮が持続的な平和を実現し、我々の関心に歩調を合わせるために米国に協力するつもりになるまでは、背を向けるつもりであることをトランプ氏が書簡で示したのは、責任ある主張であり見事なものだった。

米国が世界的な文脈での位置を検討し、我々のほとんどがトランプ氏の国際取引について正当に称賛する中、次のことを思い起こすにはちょうど良い機会だ。つまり何故我々が、他国とのやり取りを求めて交渉し、一方的に自分たちの利益を最優先にすることを示すための主権者の権利をまだ持っているのかということだ。「米国第一」主義は自己中心主義者、ポピュリスト、ナショナリストという批判を受けてきたが、米国は常に自ら決定する政府であることを意図的に選択してきた。

米国は独自の思想を前提とした国だ。つまり政府は「創造主」によって全ての個人に対して生来、前政治的に許諾された、不可分の(譲渡不能な)権利を守り維持するために存在するということだ。政府は個人に代わって判断し、我々の利益を集合的に決定するために存在しているのではない。

ホームスクール弁護協会(Home School Legal Defense Associationの)グローバル・アウトリーチで上級顧問弁護士を務めるマイケル・ドネリー氏は、現在の民主主義と主権の世界的な位置付けを国際的な「人権」の概念と対比して、相互排他的な利益であると説明している。ほとんど気づかれないままに、文化は「人権」という用語を個人の不可分の権利の同義語として取り入れてしまっているが、国際連合と急拡大する世界政府運動は大幅に異なる定義を認識している。

国連は明確に(他の世界機関と国連に同意する国と一緒に)人権を「普遍的で分割できず相互依存的で相互に関連した」ものだと理解しているため、ドネリー氏は普遍性を主張することが根本的に国家主権、つまり「主権を持った国民が民主的な多数決原理によって法の支配を決定し、それによって国民が統治し生活することだと通常理解されているもの」と対立していると主張する。
「人権」の普遍性を認識することが求められることと、国の主権者の権利によって自ら決定するということとの間に緊張が存在することはすぐに分かる。またこれは、単なる興味深い哲学的な問題ではない。国際的な政策問題の最重要事項において、一旦認識するなら認められることだ。

1つの例を挙げれば移民の議論がある。リベラル派は人道主義と人権の普遍性のためには、開かれた国境が必要だと主張する。そしてその理由として、出身国や市民権に関わらず全ての個人には、自分が選んだ場所で生活するという基本的な権利があるからだと言う。この考えは当然ながら、民主的な主権、また我が国の代表者による共和国とは対立するものだ。なぜならそこには、外国人の(もしいたとして)誰にまたどのような状況でどれだけの期間入国を許可しようとするかを、自ら決定するための憲法に基づく正当な権力が委任されているからだ。

言い換えれば、人権の普遍性を信じるのであれば、主権国家はいかなる個人の権利の主張よりも下位に位置づけられると認めることになる。ゆえに米国は人権の普遍性を前提として成り立っているのではなく、国の政府は正当に合法的にそれ自体の市民を守るために働き、その利益を最優先にして働くのだというのがむしろ正しい認識である。ロジャー・スクルートン氏がウォールストリート・ジャーナルに、国家の論拠を弁護する素晴らしい論文を書いている。

これは米国と他国の利益がある時点で――提案されている北朝鮮との会談のように――調整されるという話ではないが、国家の政府にとっては自国民の利益が第一の関心事でなければならない。人権と個人の不可分の権利との間の基本的な哲学的定義が、トランプ氏の「米国第一」というキャッチフレーズが理に適っており全く正しい理由の中心に存在している。我々の政府は我々の擁護者となり、米国人の利益を第一に正しく代弁しなければならない。

一方的な主張を認めないということが、自ら決定するという我々の主権の特質であり、国際法でユス・コーゲンス(強行規範)として認められ、国連憲章の最初に記載された権利である。皮肉なことに、我々の主権擁護にとって現在最も危険な脅威の1つが国連の数多くの条約と、彼らの継続的に米国に調印を求める取り組みだ。

だが米国が、世界的な裁定者に統治手段を明け渡すことを必要とする国連の条約や協定に調印すれば、我々はその条約を憲法第6条の下で国の最高法に組み込むことになるだろう。その結果、個人の権利の保護を放棄することになる。

我々は自分たちの主権のいかなる手段も、絶対に国連や世界政府に譲るべきではない。国内の範囲での司法審査と最高裁の行動主義の中で十分問題を抱えており、司法審査の権限のいかなる手段であっても、それを「人権」の普遍性に関して米国の憲法や国家主権と無関係な国際法廷に明け渡せば、最悪の事態となるだろう。

トランプ大統領は「米国第一」が重要な理由について驚くほどの認識を見せてきた。これは取るに足らない自己中心的な概念ではない。米国人にとっては、米国が独立した世界の自由なリーダーとしての地位を維持するための正当な権威を認識する大統領と政府が務めを果たすことが最善なのだ。

執筆者:ジェンナ・エリス (@jennaellisJDFI) はワシントン・エグザミナーのブログ、Beltway Confidential の寄稿者である。彼女は James Dobson Family Instituteの公共政策部長であり。憲法弁護士、ラジオ司会者、The Legal Basis for a Moral Constitutionの著者でもある。

(海外ニュース翻訳情報局 泉水啓志)

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