【訃報】ベトナム戦争を脱走し、北朝鮮で「みじめな生活」を過ごした元米軍退役軍人死去

5人の北朝鮮による拉致被害が日本に帰国されたのは15年も前の事でしたが、今でもその時の事を鮮明に覚えています。拉致被害者問題については解決されていません。一刻も早く解決して欲しいです。ジェンキンズさんの訃報のニュースを英国エクスプレスから紹介いたします。ジェンキンズさんの訃報に際し、心からご冥福をお祈り申し上げます。

Post 2017/12/12 16:16

ExpressUK by JOSEPH CAREY 2017/12/12】

40年近く北朝鮮で「みじめな生活」を過ごした元米国軍曹が死去。

チャールズ・ジェンキンズ氏は、1965年に韓国と隠居王国(北朝鮮)を隔てる国境に沿のパトロール部隊から脱走し、2004年にインドネシアに出国するまで、北朝鮮で過ごした。

脱走兵は、今年初めのインタビューで共産主義国家における彼の経験を述べた。

彼は次のように語った。

「北朝鮮では、私はみじめな生活を送りました」

「誰も北朝鮮で良いくらしをしていません。何も食べるものはありません。水道もありません。電気もありません。凍える冬には、私の寝室は、壁は氷で覆われていました」

「当時私は、深く考えていませんでした。今では、その時の多くの意思決定は理解できませんが、当時、私の行動をほぼ必然的だというような論理を持っていました」

ジェンキンス氏の死因は現在不明である。(注:この記事が発信された時点)

1980年に日本の拉致被害者と北朝鮮と結婚し、後でならず者国家で生まれた2人の娘を持ち、その後、家族は佐渡と呼ばれる日本海の島で生活を始めた。

彼の人生の後半に、ジェンキンス氏は小さな島の観光名所である真野公園で出迎え係をしていた。

伝えられるところでは、公園を訪れた人達は、彼が公園で仕事をしているのを見て、前軍曹に「ジェンキンスさん」と呼び掛けていた。

ジェンキンス氏は、8月の北朝鮮の挑発行為について質問された時、「北朝鮮での過去は何もない」と答えた。

彼は次のように説明した。:
「北朝鮮は何でもすることができます。北朝鮮は気にしません」


1965年に、この脱走兵は韓国に配置され、彼は、任務に不満を抱いていた。今年初めに、彼は地域で指揮をしなければならなかった夜間のパトロール中に殺されることを恐れていたことを明らかにした。

ジェンキンス氏はまた、ベトナムに派遣され、そこで殺されると思っていた。彼はうつ状態になり、アルコールの量が増えた。

脱走兵は以前、彼が国境を越えて隠者王国(北朝鮮)に入る選択をしたとき、彼が「深く考えていなかった」と説明した。

彼は次のように述べている。
「当時私は、深く考えていませんでした。今では、その時の多くの意思決定は理解できませんが、当時、私の行動をほぼ必然的だというような論理を持っていました。」

1月4日に韓国の非武装地帯(DMZ)を横断した後、ジェンキンス氏は北朝鮮警備兵たちを捕まえられた。ならず者国家の最初の8年間は、他の3人の脱走兵と一緒に部屋に収容された。

当時、脱走兵は金日成のイデオロギーの本を覚えることを強制された。

ジェンキンス氏は1966年に逃亡し、首都にあるロシア大使館に行き、亡命を申請した。

ロシア大使館によって拒否された後、ジェンキンス氏は、死ぬまで孤立した国家に閉じ込められると感じた。

彼は次のように宣言した。
「私は絶対に北朝鮮から出ません。かならず私が死ぬまで私はここにいます」

1972年までに、北朝鮮はジェンキンス氏を市民と宣言し、彼が仕事を見つけた。

1980年に脱走兵は、隠者王国(北朝鮮)に拉致された21歳の日本人女性に出会った。彼女の名前は曽我ひとみだった。

ジェンキンス氏は次のように力説した。
「私は妻が日本をどれほどひどく恋しがっていたかを知っていました。結婚してすぐに、日本語で「おやすみ」の言葉を尋ねました」

彼はまた、回想録で次のように明らかにした。

「その後、毎晩私が寝る前に、私は彼女に3回キスして、彼女に(日本語で)『おやすみ』と言いました。彼女は英語で『Good night』と言ってくれました」

「私たちはこうして、私たちが本当に誰だったのか、そしてどこからに来たのかを決して忘れないようにしました」

ジェンキンス氏の娘たちは、現在30代になった。

 

金正日は2002年に北朝鮮の統治権を持ち、13人の日本人を拉致したと認め、5人を解放することを決めた。この中の一人が曽我ひとみさんだった。

曽我さんがロマンスのニュースを伝えた後、アメリカの脱走兵はすぐに当時の日本の首相、小泉純一郎によって解放された。

彼の脱走に対する罰として、ジェンキンス氏は軍の刑務所で25日間過ごした。

 

なぜこのアメリカ人が米国に絶対に帰らないのか質問された時、この前軍曹は妻からの熱意がないことが主な理由だと説明した。

彼は次のように続けた。
「私はアメリカに帰りたいですが、妻は行きたくありません。 そこで彼女を支える手段もありません。ですから、私がいる場所にとどまるほうがいいと思います」
(海外ニュース翻訳情報局  MK)

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