【JFKファイル速報7】ストリッパー、監視、そして暗殺計画

最初に公開されたJFK暗殺関連文書の概要をまとめた、ワシントン・ポストの記事を紹介します。JFK暗殺関係者周辺の不可解な人間関係や、リンドン・ジョンソン元大統領のKKK疑惑、カストロの首を狙ったCIAの奇策まで、多岐にわたる内容が書かれています。
Post 2017/11/24 11:13

【The Washington Post  2017/11/27】


ワシントン・ポスト紙は、新たに公開されたジョン・F・ケネディ暗殺に関する記録から、3つの鍵となる文書を調べる。

トランプ大統領は、木曜に2,800を超えるジョン・F・ケネディ暗殺に関する記録を公表するよう命じた。しかし、CIA、FBI、および他機関からの圧力に屈し、最も機密性が高い文書については今後6か月の開示延期にした。それでも、木曜夕方に米国国立公文書館がインターネット上で公開した数千ページには、数十年分のスパイ、監視、情報提供者、そして暗殺計画について描写されている。

ワシントン・ポスト紙の12名を超える記者と編集者が、木曜と金曜に文書を詳細にわたって確認した。彼らが探し出した最も興味深い文書は以下のとおりであり、既出のものも新しいものも含まれる。
(*それぞれの項目の名前は、ライター名です。)

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【フィデル・カストロ殺害に10万ドル】

1964年のFBIのメモには、キューバ人亡命者らが、フィデル・カストロ、ラウル・カストロ、そしてアーネスト・「チェ」・ゲバラの首に値段をつけようとした打ち合わせについて描写されている。「フィデル・カストロを暗殺すると15万ドルに経費5,000ドルという金額は高すぎると感じた」とメモに書き留められていた。その後の打ち合わせで、より控えめな額に落ち着き、フィデル10万ドル、ラウル2万ドル、そしてゲバラ2万ドルとなった。

— Michael E. Miller

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【もしくは、フィデルには2セントの価値しかなかったのか?】

別の文書では、『オペレーション・バウンティ(報奨金工作)』と呼ばれる、米国国防総省が提案した計画について描写されている。この計画は、キューバ政府の打倒を模索し、「活動中の著名な共産主義者を殺害または引き渡した」キューバ人に金銭的な報酬を与える制度を設けたものだった。CIAは、キューバ人にリーフレットを空から撒いてこの計画を知らせるとし、次のようなルールがあった。すなわち、報酬はリーフレットに「決定的な」死亡の証拠と死亡者の党・革命員カードを添えて掲示した個人に支払われるものとされた。協力したキューバ人は、殺害した共産主義者の役職に基づいた額のドルを手に入れることとされた。手に入れる賞金額は、政府当局者で最大10万ドルであり「局長」で5万7,500ドルであった。カストロは、恐らく象徴的な存在であったためか、たったの2セントであった。

— Ian Shapira

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【乱交パーティ】

1960年のFBIのメモでは、ロサンゼルスで有名な私立探偵であるフレッド・オターシュ氏が近づいた「ハリウッドの高級コールガール」について描写している。オターシュ氏は、当時上院議員であったジョン・F・ケネディ氏、彼の義弟である俳優のピーター・ローフォード氏、フランク・シナトラ氏、そしてサミー・デイビス・ジュニア氏が関与した乱交パーティについての情報を探していた。「彼女は捜査員(オターシュ氏)に、軽率な行動については知らないと伝えた」とメモには書いてある。

— Michael S. Rosenwald

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【キティという名のストリッパーを探して】

FBIファイルには、姓が不明の「キティ」という名のストリッパーを当局が探そうと試みた情報が含まれている。ファイルによると、キャンディ・ケーンという別のストリッパーは、キティはジャック・ルビーと付き合いがあったと語った。ジャック・ルビーは、ダラスにあるナイトクラブのオーナーであり、リー・ハーベイ・オズワルドを1963年11月24日に殺害している。ニューオーリンズにある米国バラエティーショー芸人組合の代理人であるレオン・コーンマン氏は、FBIに「キティという名前で唯一分かるニューオーリンズのストリッパーは、キティ・ラヴィルだ」と伝えた。

「彼は、1963年の8月か9月に、ラヴィルがニューオーリンズで自殺したことを知らせた」と報告書に述べられている。

— Michael E. Ruane

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【JFKの暗殺はキューバにとって『やる価値がない』】

下院特別委員会の暗殺に関する報告書の草案では、CIAがフィデル・カストロの命を狙おうとしていたことに対する報復として、キューバがケネディ氏を殺害することは考えにくいと考えていた。「委員会は、カストロがケネディ大統領を暗殺したとは考えていない。なぜなら、そのような行為が明るみに出れば米国にキューバを破壊する口実を与えてしまうだろう」と草案では述べられている。「その危険を冒してやる価値がない」とも書かれている。

— Michael E. Ruane

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【オズワルドの『ひどい』ロシア語】

暗殺の翌日に送られた電報では、オズワルドがメキシコに入国するほぼ2か月前から、CIAが彼を監視していたことを明かしている。1963年9月28日、電話に仕掛けられた盗聴器は、一時ソ連に亡命しロシア人女性と結婚した元海軍兵のオズワルドが、メキシコシティー内のキューバ領事館からソ連大使館に電話をかけている様子を捉えた。片言のロシア語であるにもかかわらず、彼は英語を話すことを拒んだ。

オズワルドは、ソ連当局者が彼の母国語である英語で答えると「ロシア語で話してください」と訴えた。

メキシコシティーのCIA通訳は、「(その)アメリカ人は、ほとんど何を言っているのか分からないような、ひどいロシア語を話したと指摘した」と言っていた。

— Rachel Siegel

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【FBIはダラス警察に『オズワルド殺害のため組織された委員会』について警告していた】

暗殺のわずか2日後に書かれた注目すべきメモには、FBI長官であったJ・エドガー・フーバー氏が、FBI支局がオズワルドに対する脅迫について、ケネディ氏の殺害後少なくとも2回はダラス警察に警告したと書いてあった。

「昨夜、FBIダラス事務所に、オズワルド殺害のために組織された委員会のメンバーを名乗る男が、落ち着いた声で電話をかけてきた」とフーバー氏は書いた。「我々はすぐに警察署長に知らせ、彼はオズワルドを十分に保護すると断言した。今朝、我々は警察署長に再び電話し、オズワルドに対し何らかの動きがある可能性があると警告し、再び彼は適切に保護すると断言した。しかし、それは実現されなかった」と書いている。

テレビの生中継がされていた警察本部で、オズワルドはルビーによる致命的な銃撃を受け、数十年にわたる陰謀説に火をつけた。

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【リンドン・B・ジョンソンはKKKだったのか?】

1964年5月のFBI内部報告では、情報提供者がFBIに(白人至上主義団体)KKKには「政治家になったばかりのころ、ジョンソン大統領はかつてテキサスのKKKメンバーであったことを証明する文書がある」と伝えた。その「証明する文書」は提供されなかった。

— Tom Jackman

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【フルヘンシオ・バティスタと、米国会議員への贈賄計画】

1960年1月22日の日付になっているFBIの内部メモでは、米国の下院議員に贈賄を渡し、退陣させられたキューバ独裁者である、フルヘンシオ・バティスタを米国に連行させるという疑惑の策略について述べられている。そのメモは、マイアミの武器商が提供した情報に言及し、確実にバティスタを米国に入国させる見返りとして、15万ドルを米国下院議員であったエイブラハム・マルター氏 (民主党・ニューヨーク州)、マイアミ・ビーチの弁護士、そしてマイアミにいるバティスタ氏の「支持者」2名とで分けると述べられている。メモによると、FBIはその策略を真剣に検討したがバティスタ氏本人が「その提案を拒絶した」とある。

— Michael E. Miller

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【共産党のJFK殺害に関する調査】

複数の文書で、暗殺後に行われた共産党内会議での内部の議論を要約している。そこでは、オズワルドは無実だったかどうか、また共産主義者がケネディ氏の死の原因となるかどうかについて議論されている。諜報員たちは、囚人や詩人から流れてくるうわさをけなしていた。

— Rachel Weiner

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【CIAのカストロ殺害計画】

いくつかの書類には、フィデル・カストロに対する、詳細に記録された殺害計画について詳述されているものもある。その中の一つの文書はCIAのカストロ暗殺計画の要約であり、その中で「ブリッジ・オブ・スパイ」という映画で有名な、アメリカ人の弁護士であり交渉人でもあるジェームズ・B・ドノバン氏を、いかにCIAがある計画に利用しようと試みたかについて詳述している。その計画では、ドノバン氏とカストロがピッグス湾の囚人らの解放に向けた話し合いをする一方で、彼がカストロに、汚染されたスキンダイビング(素潜り)用のウェットスーツを渡すというものであった。

「フィデル・カストロがスキンダイビング好きということは知られていた。CIAの計画は、重症の慢性皮膚疾患であるマズラ足を引き起こす菌をスーツの中にまぶし、呼吸器具部分も結核菌で汚染するというものだった」と書類に書かれている。ドノバン氏はそれを行うことはなく、代わりにキューバ指導者(カストロ)に「友好を示すため、汚染されていないスキンダイビング用のウェットスーツ」を贈った。

別の奇妙な計画では、「仕掛け爆弾つきの豪華な貝殻」を用意し、カストロがダイビングを楽しんでいた場所に沈めておくという話が記述されていた。貝殻には爆発物が仕掛けられており、引き上げられると爆発するようになっていた。「調査後、カリブ海地域には十分な量の爆発物を入れられるほど大きく、カストロの注意を惹くほど豪華な貝がいないと断定された」とのことだ。

別のカストロ殺害計画には、1963年にキューバに勤務し、キューバ政府高官を募集していた、スペイン語堪能なCIA職員が関与した。そのCIA職員とキューバ人高官は、実際にはケネディ氏の暗殺当日に欧州で面会していた。キューバ人は、CIAにカストロと闘うことになった場合に「自分の身を守ることができる、何らかの秘密道具」を支給するよう希望した。「彼が考えていたのは、ペレット弾入りのペンのようなものであった」と、文書からは読み取れる。CIA職員はペレット弾入のペンは持っていなかったが、皮下注射針が「中に入っており、上部のノックを押すと針が出て毒を人に注射できる」ボールペンを見せた。

しかし、それを使うにはカストロにかなり近づかなければならないとして、キューバ人高官はその道具を断った。代わりに、CIA職員に武器を求めた。CIAはそれに応じ、照準器付きの高性能ライフルをキューバに発送した。しかし、そのライフルが使われることはなかった。(キューバ人)作戦要員が1964年に連絡を絶ったのである。

— Ian Shapira

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【ジャック・ルビーと警察官ティピット】

1964年4月のJ・エドガー フーバーFBI長官からのメモでは、FBIにジャック・ルビーとダラス警察官、J・D・ティピット氏についての報告書を調査するように命じている。ティピット氏は、オズワルドがケネディ氏を殺害した直後に、オズワルドによって致命的な銃撃を受けており、報告書ではルビーのストリップ劇場であったカルーセル・クラブで、暗殺前に2人が時折会っていたとされた。フーバー氏はその報告には懐疑的であったようだ。

— Tom Jackman

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【ハリウッドのブラックリスト】

多くのファイルで、FBIがたびたび米国内で共産主義者の疑いがある者を特定するため、並々ならぬ努力をしていることを明らかにしている。数十の文書は、「労働者」と呼ばれる発行物の郵送リストから名前が抜き出された個人についての簡易記録となっていた。他のファイルには、カリフォルニア州の共産党員である嫌疑をかけられていた脚本家のジョン・ハワード・ローソン氏をはじめとするハリウッド関係者らの仲間による報告が含まれている。

ファイルの中には、ケネディ氏暗殺の20年近く前のものもある。1945年からのFBI記録集は、当局がローソン氏の(LA内)コールドウォーター・キャニオンにある自宅に盗聴器を仕掛けておくための奮闘が記録されている。あるファイルは、ローソン氏が国連会議のためサンフランシスコにいるとされていた間に、マイクを家に仕掛ける計画が描写されている。しかし、彼の不在中に諜報員が「ローソン氏の自宅に人がいる」ことを発見し、当局の計画は頓挫した。

ローソン氏は、「ハリウッド・テン」の1人であった。ハリウッド・テンとは、(共産主義者であるとして)ブラックリストに入れられた米国映画界のプロフェッショナルの中で、主要な10名のことを指す。

— Greg Miller

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【車1台分ほどの小さな共産党】

文書は、長年FBIが情報提供者を利用してダラスの共産党を監視していたことを示している。ダラスの共産党は、5、6人からなる集団で非常に小さかったため、時折車内で打ち合わせを行っていた。

— Devlin Barrett

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【FBI・CIA間の不満】

あるメモには、CIA・FBI当局者間の緊張が描写されているが、その緊張は今なお存在する。メモには、FBI長官であったJ・エドガー フーバー氏が「CIAに我々の国内業務について話せば話すほど、いつも我々の不利益になる。もうやめたい」という発言が引用されている。

— Michael S. Rosenwald

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【キューバ革命はすぐに崩壊するという予測】

これらの多くの文書は、キューバの反カストロ集団による行動に重点を置いている。その集団には、FBIが(キューバ)島に武装侵攻する計画をやめるよう説得・阻止しようとしたという、オーランド・ボッシュの革命回復反乱運動(MIRR)が含まれる。1959年6月のあるFBI文書では、反カストロ暴動を予測したが、実現することは決してなかった。「キューバの状態は非常に悪くなってきており、外部からの侵攻勢力を待つよりむしろキューバ内で反革命が充分に起こりうる・・・・銀行家、砂糖業界などの強大な利害関係者らは、極めて大きな不満を抱えている」。

同様に、1959年の別のFBI報告では、キューバ人亡命者への情報活動で、確実に打倒されるだろうと思われていたカストロをすげ替えるべく、操作していた様子が中継されている。同じ文書では、カストロは「せいぜい2か月しか持たない」という情報提供者の予測に言及している。

ーMichael E. Miller and Greg Miller

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【そしてJFK殺害の真犯人は・・・】

記録は、1975年のCIA活動についての大統領諮問委員会の前に行われた、CIA長官として奉職したリチャード・ヘルムズ氏の宣誓供述書も明かしている。ベトナムについての議論の後、委員会の弁護士であったディビッド・ベリン氏は、CIAがケネディ氏の殺害に関与したかを調べた。

「さて、それでは私が行う調査の最後は、ケネディ大統領の暗殺にCIAが共謀と思われる何らかの関与をしたという嫌疑に関するものです。ウォーレン委員会の時期、あなたは(CIA)計画本部長でした。このことについて間違いありませんか?」とベリン氏は尋ねた。

ヘルムズ氏が肯定すると、ベリン氏は次のように尋ねた。「ケネディ大統領暗殺に関与したという情報はありますか。その情報が何らかの形で示しているのは、リー・ハーベイ・オズワルドが何かのCIA工作員であったか、工作員・・・」

ここで突然、文書が切れている。

— Ian Shapira

(海外ニュース翻訳情報局 渡辺 つぐみ)

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