【中国】8千枚の日本のスパイマップが中国の秘密を暴いた

旧日本軍のスパイたちが作成したち密な中国の地図が発見されたというニュースが英国のエクスプレスUKから発信されましたのでご紹介します。

これはナショナルジオグラフィックが2016年にも発表していますが、なぜ英国メディアが、今発信するのかということが、少し不思議です。

英国メディアのこういう発信は本当に面白いですね。
いかに旧日本軍のスパイたちが優秀だったかという記事です。

(海外ニュース翻訳情報局 樺島万里子)


《引用記事 エクスプレスUK  2020/09/29

昔の中国の秘密が暴かれたのは、日本軍の多大な努力のおかげであり、日本軍は近隣諸国の8,000以上の地図を作成した。

第二次世界大戦の終わり、米軍が日本を占領したとき、兵士たちは膨大な数の軍事地図を押収した。文書はアジアの大部分を網羅しており、気候、交通システム、地元住民の詳細、つまり侵略や占領に利用できる情報を含んでいた。信じられないことに、彼らは敵の背後で活動していたスパイによって集められ、彼らの作品は 「外法図」 として日本人に知られていた。

脅威が増大しつつあったソ連に関する貴重な情報が含まれていたので、米国はそれらを入手することに興奮した。

陸軍地図局は、すべての資料を一カ所に保管するのは賢明ではないと判断し、全国の図書館や施設に配布した。

そして何十年もの間忘れ去られていた。

しかし、これらの文書の多くの秘密が、学者たちが記録文書を調べて明らかにする過程で明らかになった。

2012年、スタンフォードの大学院生Meiyu Hsieh氏は、フーバー研究所で、謎の古い地図の山を発見した。

彼女は、いかにして古代漢王朝が2,000年以上前に中国で最初の大規模で永続的な帝国を築くことができた方法についての論文を書いた。関連する考古学上の遺跡の多くが水面から消えてしまったにもかかわらず。

現在オハイオ州立大学で歴史を講義しているHsie教授は、ブラナー地球科学図書館でさらに多くの地図を発見することになるだろう。

彼女は2016年にナショナルジオグラフィックで、「私は午後を費やして引き出しを全部引っ張り出し、そこに何があるのか知ろうとした。」と語った。

この画期的な発見は、8,000枚以上の地図につながった。

この地図は中国北西部の西安一帯を網羅しており、万里の長城と活火山の位置、戦略的価値のある様々な場所を示している。

蔵書の内容を知るために、図書館は会議を開き、これらの地図の第一人者である小林茂氏を招いた。

小林氏によると、1870年頃から日本軍は近隣諸国の地図を作り始めたと書いている。

当初、軍はそれらの国や西洋から入手した地図を模写していた。

しかし、軍の将校たちはすぐにもっと詳細な地図が必要だと気づき、最初に海岸線、次に中国と韓国の内陸部を調査するためにチームを派遣し始めた。

スタンフォード大学の東アジア史家、カレン・ウィゲンは、19世紀後半は日本の歴史において激動の時代であったと述べた。

「日本は大国になりたいと思っていましたが、切り刻まれたくなかったのは確かです」

「植民地を得るか、植民地になるの2つの選択肢のようでした。」

1900年初頭、日本は秘密の調査チームを中国に派遣した。彼らは旅をする商人に変装し、コンパスと歩数を計測するだけで地図を作った。

時間の経過とともに、地図にはより重要な詳細が含まれるようになった。

これらの地図の多くには、上陸用のボートに適した海岸線や武器製造工場の場所など、戦略的に価値のある特徴について日本語で詳細に記されている。

南太平洋の島の地図には、地元の食べ物や島で唯一の製氷機の場所が記載されている。

その範囲は北はアラスカやシベリアまで、西はインドやマダガスカルまで広がり、南はオーストラリアまで広がっている。

地図が何枚作成されたかは誰にもわからない。なぜなら、ほとんど米軍が地図作成プログラムを秘密にし、第2次世界大戦の終わりに米軍が閉鎖した際に地図を破棄するよう命じたからだ。

それにもかかわらず、研究者たちはより多くの素晴らしい情報を発見することを期待して、さらに多くの地図を探究しつづけている。

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