【フランス:オピニオン】ノートルダム大聖堂炎上が意味するもの:欧州のキリスト教文化圏、衰退の実態と警告

 フランスのパリ中心部にそそり立つ世界遺産ノートルダム大聖堂が大炎上し、尖塔が焼け崩れる姿は、世界中に衝撃を与えました。国家的な悲劇との見解から、フランスを代表する高級ブランド「ルイ・ヴィトン」や「ディオール」を傘下に抱えるLVMHグループの大株主アルノー家や「グッチ」や「イヴ・サン=ローラン」を擁するピノー家がそれぞれ2億ユーロ、1億ユーロという巨額寄付を矢継ぎ早に表明。発生から1週間あまりで寄付金総額が8億ユーロ(約1千億円)を超えたそう。復活祭を週初に祝ったフランスでは、大聖堂の素早い再建に期待が高まっています。

 その一方で、フランスには昨秋以降に広がった「黄色ベスト」の過激な抗議デモが完全には収束していないという事情も。生活苦に喘ぐ貧困層や年金生活者と、ワンクリックで巨額寄付ができる超富裕層というフランス社会が抱える醜い貧富格差を浮き彫りにした格好となり、大聖堂の再建を急ぐより、貧困層を救済に資金を振り向けるべきだとの論争も起きています。「社会の緊急事態に振り向ける資金がないという下手な言い訳はやめてくれ」(仏CGT労働組合のフィリップ・マルティネス氏 )という訳です。

 ノートルダム大聖堂は、フランス国家の威厳や威光を示す、煌びやかな観光名所というだけではありません。本来の存在意義は、あくまでもキリスト教のなかでも最大宗派のカトリック教徒(全世界の信徒総数は12億人)が敬虔な祈りを捧げる場所であることつきます。「神を愛し、隣人を己が如くに愛す」ことが、その基本精神であり、行動規範です。

 大聖堂の炎上が、フランス社会や、その他の欧州各国に発する深い意味とはーー?!社会基盤の中核をなしてきたキリスト教の教えが、急速な世俗化で衰退したことに伴い、隣人を顧みない、行き過ぎた個人主義が、様々な弊害をもたらしている現状に対する「メタファー(隠喩)であり、警告でもある」という、23日付の米ワシントン・ポスト紙が掲げたオピニオンを今回はご紹介します。

Post by   Eshet Chayil ーONTiB Contributor  2019/04/27  07:00


「ノートルダム大聖堂炎上は究極のメタファー(隠喩)であり警告」

マーク・ティーセン記者 (Washington Post 2019/04/23)

南西フランスのボルドーから。復活祭を祝ったこの週末、フランスは、800年に及ぶ長い歴史を持つパリのノートルダム大聖堂の火災に未だ動揺していました。その炎上の様子は、ヨーロッパ全域におけるキリスト教の衰退という究極のメタファー(隠喩)であり、私たちアメリカ人にとっても、警告であると言えます。

 ノートルダム大聖堂に比べたら、かなり新しい姉妹教会である仏南西部の都市ボルドーにあるノートルダム教会 (建設開始は1684年)。復活祭の礼拝ミサは、参列者で埋まりました。しかし、礼拝を執り行った司祭は説教の中で、日曜日のミサが今や2回だけに減少していると指摘。かつては、7回行われていたと述懐しました。さらに、過去15年間に渡り、ボルドー教区は新しい聖職者の任命式を一度も行なわなかった点を挙げ、それでもボルドーは幸いなほうであると言明しました。他の幾つかのフランスの教区は、20年に渡るさらに長い間、1度も任命式がなかったというのです。

 フランスはかつてヨーロッパで最もカトリックの要素の強い国の一つでした。今もフランス人の 64% が自らをクリスチャンとして認識していますが、定期的に教会の礼拝に出席するというのは5%に過ぎません。毎日祈りを捧げるという人は10人に1人という低水準です。

 若い世代は父親世代の信仰に殆ど執着していません。「ベネディクト教皇16世・宗教と社会の研究センター」の調査結果によると、フランスのヤングアダルト世代で自らをクリスチャンとして認識する割合は全体の26%。65%が祈るという行為は絶対にしないと回答しました。この憂うべき状況は、ヨーロッパの他の地域でも同様です。この調査で、宗教的な礼拝に出席するとした若者の割合が10人に1人に登ったのは、ポーランド、ポルトガル、アイルランドの3カ国だけでした。

 アメリカの現状は若干ながら良好かに映ります。 カトリック教徒の39%、福音派の58%が週に一度の割合で教会の礼拝に出席するほか、月に数回の割合で参加する人たちはさらに多いと言う。しかし、若者の場合は減少傾向。若いミレニアル世代では、教会に毎週通うのは 11%に過ぎません。月に1ー2回、または年に数回という比率も16%強止まりです。ヨーロッパを席巻した世俗的な津波が大西洋を渡り、押し寄せようとしているのです。

 それ以外の地域では、アジアやアフリカでキリスト教会は伸びていますが、スリランカの自爆テロの例に見られるように、絶え間ない攻撃にさらされています(訳注:世界各地でのクリスチャン迫害の現状は同サイトでもお伝えした通り)。しかし、西洋では、キリスト教会は自殺していると言えます。現代の世俗主義は、20世紀の全体主義イデオロギーが試み、失敗したことを、ゆっくりながら達成しようとしています。それは、社会から神を根絶することです。

 ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、ベネディクト16世として教皇に就任する前日に行った講話で指し示した事象が現実のものとなっていることを私たちは目の当たりにしているのです。「相対主義(レラティビズム)による独裁、つまり決定的なものを何ひとつとして認めず、その究極の目標は、己のエゴと、欲望だけで構成される」という。

 米大陸でも欧州大陸でも、若者たちは結婚を嫌厭したり、産み育てる子供の数を減らしたりしています。なぜなら、自己中心に動く文化は、結婚や家族という中心にある自己犠牲の愛(sacrificial love)の精神に反するからです。

 神の排除は、死の文化に繋がります。キリスト教は、すべての生命には尊厳と価値があると説きます。人間は神の似姿に造られたという教えが元にあるからです。しかし、神が存在しなければ、不都合な生命は使い捨ても良いことになります。その結果、人工妊娠中絶、安楽死、性的人身売買、難民の非人道的扱い、家族形態のかく乱、客観的な道徳的秩序の破壊が起こります。人間の生命ひとつひとつが固有する尊厳に対する攻撃が容認されるだけでは済まず、必要なものであるとか、挙げ句の果てには、善であるとの支持を取り付けるようになります。

 フランスでは今、ノートルダム大聖堂をかつてのままに再建するか、または近代化するかの議論で沸いています。ルーブル美術館の近代化に伴い、中国系アメリカ人の建築士イオ・ミン・ペイ(I.M. Pei)氏がガラスと金属製のピラミッドを、古きゆかしき敷地内に増設した時に似ている。しかし、これは見当違いの論議です。

 ノートルダム大聖堂を訪れる年間数百万人のうち、ほとんどが観光名所として大聖堂を、博物館であるかのように見て回るのは確かです。しかし、大聖堂は博物館ではないのです。それはフランスを代表する象徴的な建造物でもないのです。それは神に礼拝を捧げる場所なのです。それを復元するには、私たちはその本来の存在意義を回復する必要があります。つまり、全能の神に、人々を立ち返らせることです。

 人間の心は、神を愛するように造られています。(ローマ教皇庁典礼秘蹟省長官である)ロベール・サラ枢機卿が今週末の仏有力紙ル・フィガロとのインタビューで語ったように、ノートルダムを飲み込んだ火災は、「神の愛を再発見するための神様からのアピール」なのです。サラ枢機卿が言う通りです。熟練した職人なら、大聖堂の石をひとずつ、直ちに修復しましょう。

 しかし、ボルドーの教会の復活祭ミサで司祭が私たちに語ったように、ノートルダム大聖堂を再建するために真に必要なのは、聖ペテロが言う「生ける石」です。

 「主のもとに来なさい。… あなたがたも『生ける石』として、霊の家に築き上げられなさい。神が選ばれた、ご自分の民…。それは、あたながたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招いて下さった方の素晴らしい御わざを、あながたが宣べ伝えるためなのです」 (第1 ペテロの手紙2章4-9節から抄訳)。

 フランスやアメリカでも、このような「生ける石」をもっと必要としています。

(海外ニュース翻訳情報局 えせとかいる)

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