【新事実】虐殺されたという韓国の慰安婦30名がなぜ生き残ったのか?

奥茂治氏のFB投稿記事より本記事は紹介します。(注:読みやすくするため一部原文を修正しました)

・韓国語はこちら     ・英文はこちら


私は、慰安婦問題については、先日の憲政会館での帰国報告会を最後に「慰安婦問題は最後だ」と発表した。

そして、これまでに集めた膨大な資料を断捨離しながら「やり残した事はないのか?」と自問していた。

そして、7日の慰安婦問題国際カンファレンスに参加した際、ソウル大学が主張した「朝鮮慰安婦を日本軍が虐殺した」との発表に疑問を持ち、中国の雲南省に飛び、雲南省の省立図書館で韓国発表と全く違う内容の記述だった事をマイクロフイルムから発見した。

このことについて、すでに投稿済みだが、断捨離中に私が保管していた「謄越玉砕記」の一部コピーが見つかった。

1979年8月に福岡県久留米市出身の「吉野孝公」氏、元56師団・龍6744衛生兵が書いた証言記録を国会図書館で複写したものだった。
改めて読んで見ると、韓国の慰安婦30名がなぜ生き残ったのかが詳しく書いてあった。

その内容は次のとおりである。

生存していた日本人慰安婦が「あなたたちは何も日本に義理たてる事はない」と言って朝鮮人慰安婦を投降させたと言う。その数は約30名だった。

その後、日本人慰安婦は自決したのである。

9月13日最後の突撃を前に、隊長から吉野さんら11名の兵隊が集められ謄越守備隊の最後の状況を師団司令部に報告する命を受けたのである。

その時、謄越の城壁近くの林の中に、30人程が身を寄せ合っていて彼女たちから「隊長さん、私たちも連れて行ってくれないか」と懇願されたのだが、兵隊たちは慰安婦をかばうように林の奥へと逃がした。

10月7日、吉野さんは捕虜になった。

そして謄越の太屯(たーどん)収容所から雲南省の省都である昆明に移されることになった。がその時、朝鮮人慰安婦を載せたトラック一台が満員になるほどいたと言う。

 

やはり朝鮮人慰安婦は、日本人慰安婦の手により逃がされていたのであった。

日本人慰安婦たちの思いやりと日本軍人の彼女たちに対する心遣いを見て、日本人としての誇りを感じるのである。

そして、「いかにソウル大学の発表がいい加減なものだったのか」日本人に知って欲しいとの思いで投稿した。

謄越までは飛行機を5回の乗り継いで到着しました。

雲南省松山基地で現在展示されている当時の新聞です。

 

 

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